先日、久々に友人のH氏と会った。
我々は幸福を求めて、
おいしいご飯を食べに行くことにした。
私 「近くにおいしいラーメン屋がある」
H 「それは楽しみだ。行ってみよう」
我々はうきうきしながら、
ラーメン屋へと向かった。
着いてみると今日は定休日だった。
H 「閉まってるぞ」
私 「まぁ、こんな日もあるさ」
我々は次の店を探すことにした。
私 「そうだ、もう一つ良いラーメン屋がある」
H 「ではそこに行こう」
我々はうきうきしながら、
ラーメン屋へと向かった。
・・・
着いた。
臨時休業。
H 「またか・・・」
私 「今日はラーメンを食べるなってことだろう」
私 「気分を切り替えてネパール料理屋なんてどうか?」
H 「良いね、行ってみよう」
我々はうきうきしながら、
ネパール料理屋へと向かった。
・・・
ネパール料理屋に着いた。
休み。
H 「ぶっだといるとこんなんばっかだよ!」
私 「・・・(目をそらす)」
飢餓に苦しむ友人は、
途中でフランスパンを購入した。
おそらく護身用も兼ねているのだろう。
最近この辺も物騒になってきたしなぁ。
我々はフランスパンを
ブンブン振り回しながら歩き始めた。
放浪中はずっとくだらない雑談をしていた。
友人の最近の悩みは、どうやら車の運転が
苦手だということだそうだ。
なので私は事故車のドライブレコーダー集を見せた。
すると彼はどうやら人類に対して
癒しがたい不信感を抱いたようだ。
H 「これじゃあ運転なんてできないよ!」
本当に気の毒なことだなぁ。
私は一刻も早く問題が解決することを
心から祈った。
その後、私は良いことを思いつく。
それはケバブ屋へ行くということだ。
幸福とケバブは同義語である。
幸福とケバブの関係については以前書いた。
ケバブ屋へ行けば幸福が得られる。
私はおすすめのケバブ屋を紹介した。
H 「お、ちょうど俺が生まれた病院のそばだ!
偶然だな」
私 「いや、偶然ではない。
彼らは君が生まれるのを待っていたんだ。
今だって君のことを待ち続けている」
H 「すげぇ行きたくなくなったんだが」
私は友人をケバブ屋へと連行した。
さて、我々はケバブ屋へ入った。
店員のトルコ人は、さすが友人が
生まれる前から準備していただけあって、
大歓迎してくれた。
そして到着したケバブは、
確かに凄まじい量だ。
我々はかつてのオスマン帝国の繁栄を感じた。
オスマン帝国はまだ終わっていない!
トルコはまだ偉大な国なんだ!
数分後
いくら食べてもケバブはいっこうに減らない。
我々の顔色はみるみるうちに曇っていった。
まるで第一次ウィーン包囲でオスマン帝国に
圧迫されるオーストリア人みたいな気分だ・・・
幸福は我々の手のひらから
ぼろぼろとこぼれていった。
行き過ぎた幸福は不幸へと転化する。
これが今日の教訓だ。