恐怖のバスを降りた後、
我々は京の町を練り歩いた。
京都の歴史は古い。
それゆえに、時間感覚も
我々とはだいぶ異なる。
たとえば京都で先の戦いと言うと、
二次大戦ではなく、
応仁の乱を指すという。
私の中で先の戦いと言うと、
先週出たゴキブリと戦ったことぐらいだ。
背負う歴史の違いを感じさせる。
そんな京の町を歩いていると、
面白いものを発見した。
天ぷら油回収機。
O 「何に使うんだこれ」
私 「これを売って得たお金を、
応仁の乱で焼失した寺社の
再建に充てるのだろう」
O 「乱の爪跡深すぎだろ。
そりゃ先の戦いが応仁の乱になるわ」
雨水貯蓄タンクもあった。
O 「どうすんだろ、これ」
私 「これを売って得たお金を以下略」
O 「京都ってお金ないのな」
ただ、お金がないことに関しては、
我々も同じであった。
なので、GoTo eatキャンペーンを
利用する話になった。
だが、GoTo eatの店を探してみると、
対応している店はほとんどなかった。
検索してもイタリアンや、
最近の居酒屋しか出てこない。
O 「なんでや。
京都料理屋はないのか?」
私 「きっとGoTo eatの
看板なんて掲げたら、
『あの店はなんて卑しい店なんでしょう』
という噂が広がるからじゃないか」
O 「クソッ!京都人はどうしてこうなんだ!」
私 「応仁の乱だ。
応仁の乱によって、
人心が荒廃してしまったんだ」
また、京都へ来ると、
少なからずガッカリすることがある。
京都というと、普通は由緒ある
伝統的な木造建築が
ずっと並んでいるイメージだ。
だが、実感京都に来てみると、
東京とほとんど何も変わらない
ごく普通の住宅と町が
広がっているだけだ。
いかにも京都っぽい家屋があるのは、
寺の半径数十メートル以内程度である。
どうしてこんなことに
なってしまったのだろう?
間違いなく応仁の乱が原因だ。
乱によって古き町並みは全て焼け落ち、
伝統は失われてしまった。
そして更なる乱に備えて、
鉄筋コンクリート住宅を
建てるようになってしまったのだ。
応仁の乱の爪痕はとても根深い。
京都にとって、先の戦いとは
やはり応仁の乱なのだ。