今日は帰り道のローソンで、
気になる看板を見つけた。
サンドイッチ革命。
これは間違いなく、
ロシア革命101周年を意識してのものだろう。
今日はサンドイッチ革命について
考察してみたい。
まず考えなければならないのは、
革命主体は誰か、ということである。
一体誰が、誰に対して、
革命を起こしているのだろうか。
その鍵はサンドイッチ社会の矛盾にある。
サンドイッチの外観に
注目してみてほしい。
ハムや卵、チーズにレタス、
と様々な種類が立ち並ぶ。
だが、共通していることが1つだけある。
それは、ハムもレタスもチーズも、
パンによって、ぎゅむっと挟まれ、
抑圧されているということである。
これはまさしく革命前夜のロシアそのものだ。
ハムやチーズといった
サンドイッチプロレタリアートは、
強欲なブルジョアパンに虐げられている。
サンドイッチの価値は、
本来具にあるはずなのに、
パンが全てを搾取しているというわけだ。
これは許せない。
もう革命しかない。
こうしてパンによる圧政に対して、
ハムやレタスが立ち上がり、
革命戦争が勃発する。
この革命の勝敗は明らかだ。
パンに対する長年の恨みのエネルギーは凄まじい。
ハムレタスチーズ連合軍の前に、
パン政府軍は、量の面でも、
カロリー面でも及ばない。
為すすべもなく革命政府が
樹立されることだろう。
だが、問題はその次だ。
パンという共通の敵を失った連合軍内では、
次第に主導権争いが激化する。
そして革命後のボリシェヴィキと
メンシェヴィキがそうであったように、
血みどろの権力闘争が勃発する。
まず、犠牲となるのは、
ブロッコリーやきゅうりといった少数派だ。
まぁ、きゅうりは別に良い。
きゅうりに人権などない。
なぜなら私の嫌いな食べ物だからだ。
結局のところ、この内戦の趨勢は、
レタス、ハム、チーズという
三大派閥によって決定されるだろう。
とりわけレタス派とハム派の抗争は、
激烈なものが予想される。
両者は水と油、いや、野菜と肉である。
決して相容れることはないのだ。
ここで問題となるとは、
チーズ派の動向である。
チーズ派がどちらにつくかで、
勝敗は決まる。
そして恐らく軍配は、
ハム派に上がることだろう。
単純なチーズ派は、
狡猾なハム派に騙され、
まんまと利用される運命にある。
それは、アンパンマンを見てもらえば、
わかると思う。
ジャム爺やバター娘と違い、
チーズだけが人語を解しない犬だ。
なんと、あのカバオ君より、
下等な存在として描かれているのだ。
チーズ派に知能などあるわけがない。
こうしてチーズ派はハム派に使い倒され、
レタス派を片づけた後で、
ボロ雑巾のように捨てられる。
そしてハム派による革命政府が樹立される。
ハムのハムによるハムのための政治。
そこにあるのは、ハムをハムで挟んだ
ハムハムなサンドイッチである。
だが、これはもはやサンドイッチではない。
ただのハムだ。
これでは何のための革命かわからない。
このように、革命とはいつだって
虚しいものなのだ。