ケバブ、それは幸福と同義語である。
ケバブがいかに至高の存在であるかについては、
以前書いた通りだ。
こちらを参照して欲しい。
その日、私と友人は
色々あって幸福に飢えていた。
そして我々は幸せの青い鳥を求めて、
ケバブ屋へ行ったのだ。
さて、店に入り、
我々はメニューを眺めた。
最初に目を引いたのはこれだ。
私 「クズソテだって」
友 「我々のことだろうか?」
私 「だろうな。
だが、敢えて他のものを頼もう!
我々がクズでないことを証明しよう」
次に気になったのこれだ。
友 「ブドウの?ってなんだ?」
私 「とてもここでは
書けないような物だろうな。
危険だ・・・」
これもやめた。
あとはこんなものもあった。
だが、我々は間違いなく
制服される側だったので、
これも避けた。
結局、頼んだのは普通のケバブである。
とてもおいしかった。
私 「口の中が超トルコ」
友 「口の中が超ケマルパシャ」
※ケマルパシャ・・・トルコを近代化させた英雄。
西洋文明を取り入れ、
政治から宗教色を廃し、
現代トルコの基礎を作った。
日本でいうところの幕末志士のようなかんじ。
友 「そういえば、前にケバブ屋へ行った時も、
トルコ人に同じ事を言ったよ」
私 「おお、それはトルコ人も嬉しいだろう。
友達になれた?」
友 「俺はケマルパシャは嫌いだ。
奴はトルコの伝統を壊した。
って言われて険悪になったよ」
私 「オゥー」
多分日本でいうところの新撰組側だったんだろう。
さて、我々はあっという間に
ケバブを平らげた。
だが、まだ足りない。
そこで友人はトルコライスを頼んだ。
これは日本のジャポニカ米と違い、
サラサラな品種の米だ。
一方、私はピタパンというものを注文した。
これはナンのトルコ版と言ったところか。
両者はすぐに届いた。
そして友人はトルコライスを一口食べて言った。
友 「ぶっだ、うまいよ!」
私 「まぁ、米だからな」
だが、数分後。
友 「ぶっだ、味がないよ・・・」
私 「まぁ、米だからな・・・」
私の方もピタパンを食べた。
友 「うまい?」
私 「味がない。
パサパサする」
友 「どうしようもないね」
我々は失われしケバブに思いを馳せた。
だが、栄光のオスマントルコ時代は去ったのだ。
我々の口の中に広がるのは
アナトリア地方の
荒涼とした大地であった。
我々はトルコの荒野を
パッサパサになりながら
放浪し続けるのであった。