だいたい日刊 覇権村

実益のない事しか書かない。 ツイッターアカウント https://twitter.com/buddha0123

せんべいの生態

せんべいの良さはいくつもある。

お手頃な価格だとか、形や色、においや味など様々な観点があるだろう。

私が好きなのは、あの絶妙な難易度設定だ。

全力を出せばギリギリ勝てる強さだ。

虚弱体質な私は今でこそかろうじて倒せる。

だが、昔はむしろせんべいにバリボリかみ砕かれていた。

思えば私も強くなったものだ・・・

 

今日はそんなせんべいの生態についてみていこう。

まず、せんべいには群れで行動する習性がある。

彼らがなぜ集団で行動するかについては諸説ある。

外敵から身を守るためだとか、寂しかったからなど様々だ。

 

せんべいは多くの種類が存在することも確認されている。

例えば海苔を身にまとうせんべいだ。

これは恐らく夜の闇に紛れるためだろう。

また、人間と同じく、薄っぺらいやつもいれば、分厚いやつもいる。

大量のゴマに寄生されている哀れなせんべいもいるそうだ。

そしてイカやエビと融合している個体まで報告されている。

せんべいが海にも生息していることの証拠だろう。

せんべいを見ていると、本当に生物の多様性を感じる。

 

そんなせんべいであるが、初めからあんなに硬い存在ではなかったらしい。

元々せんべいの外皮は柔らかいものであった。

だが、過酷な環境に適応するため、適者生存を繰り返し、

進化の過程であの硬さを獲得していったのだと、ダーウィンの進化論にも書かれている。

 

さて、気になるのは、せんべいの主な生息地だ。

海だけでなく、陸上にも多くのせんべいが息づいている。

我々の近くでもその姿を見ることができるはずだ。

例えば、スーパーとかコンビニに行けば、

文字通り売るほどたくさんのせんべいが蠢いているのを見ることができるだろう。

動きは鈍く、捕獲は容易だ。

さぁ、遠慮することはない。

虫かごと虫取り網を持って、みんなでつかまえに行こう。

 

新宿街歩きガイド

今日は用事があって新宿へ行ってきた。

そこで見たこと、聞いたこと、思ったことをありのままに書いていこうと思う。

 

さて、新宿に着いてまず我々を出迎えたのは、

駅の中に張り巡らされたダンジョンだった。

その構造は、入る度に万華鏡のように姿を変えると言われている。

ダンジョンには多くのモンスターが徘徊し、

数多のトラップが存在する。

そして毎朝多くのビジネスパーソンや学生が犠牲になっているのだ。

だが、都市に住む人々は冷酷で他人の死に無関心であるため、

ダンジョンは野放しにされている。

こうして屍は積み重ねられていくわけだ。

幸い私はダンジョン脱出アイテムであるアリアドネの糸を持っていたから助かった。

しかし、私といっしょに来た人達とははぐれてしまった。

以来、彼らは行方不明のままだ。

きっとミノタウロスの餌食になったか、

いまだに迷宮をさまよっているかのいずれかだろう。

 

迷宮を無事脱出できた私は、新宿の町を歩き始めた。

ここでひとつ、注意しておかねばならないことがある。

それは、新宿に隣接している歌舞伎町エリアには、

決して近づいてはいけないということだ。

あそこは力だけがすべてを支配する無法地帯だ。

今日も銃声と悲鳴は途切れることがなかった。

恐ろしい場所である。

私は時折聞こえてくる断末魔に耳を塞ぎながら、

足早に新宿中心部へと向かった。

 

街の中心部の光景は壮観であった。

天をつく高層ビルは林立しており、人の数も多い。

そしてさすがグローバル都市を謳うだけあって、

様々な種族が混在していた。

ドワーフやエルフ、半獣半人の亜人、果ては魔族や神族の方々までいたほどだ。

私はその多彩さに圧倒された。

 

また、新宿は商業も盛んであった。

ここではありとあらゆるものが売られている。

鉛筆から重力加速器まで何でも手に入る。

だが、路地の裏へと一歩入れば、

ここでは書けないような危険なものや奴隷などが売られている。

資本主義社会のダークな一面だ。

こうして私は新宿の光と闇の両面を見て歩いた。

 

その後、あれこれ用事を片付けていると、

あたりはすっかり夜になっていた。

私は最後に夜景を見ようと思った。

そして成層圏まで達する超高層ビルへと足を踏み入れた。

しかし、中層以上は上流階級の人間以外は立ち入り禁止であった。

しかたなく私は下層民向け展望台へと上った。

だが、下層民向けの眺めといえども、

それは私の目を驚かせるには十分な光景だった。

下界に広がる無数の灯火。

色とりどりのまばゆい光たち。

その景色はまるで夜空のように美しかった。

だが、私が住んでいるスラム地区に目を向けると、

そこには一点の光もない暗黒が広がっていた。

この世界の矛盾である。

私の住んでいるスラムについては、こちらを参照して欲しい。

 

 

buddha01.hatenablog.com

 

私はため息をつきながら展望台をあとにした。

いつかは私もあの光の世界で生きたいものだ。

そんなことを思いながら私は、

自分が住んでいるスラム、零本木の虚無へと吸い込まれて消えた。

カフェラテを称えて

喫茶店に行った時、皆さんは何を注文するだろうか?

私はいつもカフェラテを頼むことにしている。

私はカフェラテが大好きだ。

どれくらい好きかと言うと、墨汁とカフェラテどっち飲む?と聞かれて、迷わずカフェラテを選ぶくらいだ。

今日はそんなカフェラテの魅力について語りたい。

 

さて、カフェラテの何にもまして優れているところは、飲めば頭がよくなるということだ。

頭がよくなるとはどういうことかというと、

すごくかしこくなってすごいパワーですごくたくさんのことをいろいろアレできるということだ。

・・・と書けば、どれだけすごいことかわかっていただけたと思う。

頭がよくなりたい人はカフェラテを飲もう。

すると私みたいな有様になってしまうだろう。

 

次に詳細な生化学的分析を試みたい。

1.飲む

2.おいしい

以上だ。

私の知的レベルではこれが限界だ。

次に行こう。

 

今度はカフェラテの良さを詩的に表現してみよう。

カフェラテは土砂崩れのようにおいしい。

土石流と化したおいしさが、私の感情という民家を全壊させ、まるで濁った海のような脳へと到達する。

あとには至福という名の瓦礫の山が残されるばかりだ。

 

他には、カフェラテは我々のコミュ力を上げてくれる。

普段我々はカフェラテに対してどのように接するだろうか?

きっとシロップをかけてスプーンでグルグルすることだろう。

これは人間関係にも応用できる。

相手にシロップをかけてスプーンでグルグルすれば一発だ。

 

ここまで書けばカフェラテの効能がわかっていただけたと思う。

さぁ、カフェラテを飲もう。

そうすれば受験には合格するし、就活もうまくいくし、

バリバリ論文を書けたり出世したりして、人生はバラ色となるだろう。

 

私は電柱になりたい

私は電柱になりたい。

きっとみんなも心のどこかではそう思っていることだと思う。

だが、電柱になりたい理由は人それぞれだ。

そこには様々なストーリーがあるだろう。

そこで今日は私の物語を話したい。

 

さて、私と電柱との出会いは小学生の時だ。

あれはうららかな春の日のこと。

私はいつものように颯爽と自転車を運転していた。

しかし、ハンドリングを誤って、全速力で電柱に衝突してしまったのだ。

半壊する私の自転車。

しかし、びくともしない電柱の姿。

それを見て「こいつにだけは勝てねぇ・・・」と私は悟ったものだ。

だが、一方で、大きくなったら電柱になりたいという感情が生まれた。

それが始まりだった。

それまでアウストラロピテクス並だった私は心を入れ替えた。

そして立派な電柱になるべく、必死に努力した。

強く、硬く、揺るがない。

そんな存在になりたい。

以来、私は己の研鑽を1日たりとも怠ったことはない。

そのはずなのだが、なぜだろう、私はところてんのようなぐにゃんぐにゃんした存在になってしまった。

今では一人で立つことすらままならない。

そんなわけで私は半ばで挫折したが、みんなは電柱になるという夢を諦めずに頑張ってほしい。

そして悪いドライバーを地獄に送ったり、根元からおしゃれにたんぽぽなんかを咲かせたりしてほしい。

 

水族館!

今日は水族館へ行こうと思ったが、妥協して回転寿司へ行ってきた。

というわけで今日は回転寿司について書いていこう。

さて、水族館と回転寿司。

どちらも魚介類と関わるという点では一緒で、ほとんど違いがないように見える。

私もよく両者を混同してしまう。

だが、両者にはいくつか重要な点で相違がある。

例えば魚を食べられるか食べられないかという点だ。

回転寿司は魚をうっとりと眺めるだけでなく、食べることもできる。

一方、水族館でうっかりチンアナゴを口に運ぼうものなら、

我々は飼育員によってネギトロにされてしまうことだろう。

 

他にも違いはある。

例えば回転寿司の方では魚が店内で回されているが、水族館の方では我々の方が館内を回らなければならない。

これには大きな危険がつきまとう。

野盗化した修学旅行生から追い剥ぎにあったり、鮫に遭遇したりとか。

 

まぁ、水族館と回転寿司の比較は、また別の機会に行おう。

今日は回転寿司の話だ。

 

私は好きなネタがいくつかある。

例えばサーモン。

食べていると何だか自分が生まれた川に還りたくなる。

母川回帰本能に訴えかける魅力的な一品だ。

 

次にヒラメ。

あの海底にはいつくばる生き様が何となく共感できる。

そして食べてみるとどことなく卑屈な味がする・・・気がする。

見て良し、食べて良しと非常にお得な魚だ。

 

あれこれ見てきたが、でも寿司と言えばやっぱりなんと言ってもあれだろう。

そう、エビフライ巻だ。

もはや文明の終焉だ。

退廃的な感じがすごくいい。

 

みんなは何のネタが好きですか?

私はベルトコンベアーが好きです。

バーガーキング王国物語

今日は友人とバーガーキングに行った。

バーガーキングは素晴らしい。

バーガーキングは、我々のような卑しいバーガー平民にも優しい王様だ。

飢えた市民が押し寄せても、王国は暖かく迎えてくれる。

そして優しく口にバーガーを詰め込んでくれるのだ。

社会保障は完璧である。

治安も良い。

まったくもって非の打ち所がない国だ。

だが、王国を取り巻く情勢は不穏なものだ。

 

北方にそびえるはマクドナルド帝国。

圧倒的な物量を背景に次々と周辺諸国を併合していった大国だ。

そしてこの国にもその侵略の手を伸ばしてきている。

王国最大の脅威だ。

 

西方にはモスバーガー大公国。

規模こそマクドナルド帝国に劣るものの、優れた技術力と工業力でその名を轟かせる強国だ。

近年、レタスでバーガーを包囲するという新戦術を打ち出し、近隣諸国を動揺させている。

決して侮れない相手である。

 

そして南にはロッテリアランド。

これはまぁ、どうでもいいだろう。

 

我々は王国の未来を憂い、その行く末を論じた。

私 「この王国を守りたい。

野蛮な侵略者の手から愛する者を守りたい」

友 「そうか・・・」

私 「沢山敵を倒して手柄を立てるぞ。

そうすればバーガー貴族になれるんだ」

友 「そうか・・・」

私 「そしてゆくゆくは王に・・・」

友 「待て、それは謀反だ。

身の丈に合わぬ権力欲は身を滅ぼすぞ」

私 「うるさい!

革命だ!革命だ!

王の首を切り落とせ!

バーガーキングに俺はなるんだ!」

こうして王国を巡る冒険は今、始まったのだ。

帰宅学概論

帰宅学は、近年最も研究が進んでいる分野の一つだ。

日々帰宅に対する様々な思想が生まれ、異なった考えの学派を火刑にかけるなど、活発な議論がなされている。

また、帰宅は健康に良いなどの研究結果も報告されており、小学校での必修化も噂されている。

そこで今日は帰宅学について大まかな概要を紹介していきたい。

 

さて、帰宅と一言で言っても、色んな切り口がありえよう。

例えば、帰宅が始まるのはどの時点か、という議論がある。

通説的な見解だと、勤めている会社ないし通っている学校を出た時から始まる、とされている。

だが一方で、人は生まれた瞬間から死に近づいているように、

家から出た瞬間からすでに帰宅を開始しているという説もある。

私はこちらの方の学説を主張する。

そして学会を追放された。

 

他にも帰宅についての向き合い方は様々だ。

帰宅の実体はどこにあるかとか、帰宅が人体に及ぼす影響、帰宅権利闘争、

帰宅格差問題、帰宅神学論争など、その活動は多岐にわたる。

だが、深入りすると人生を棒に振ることになるだろう。

そこで今回は、帰宅に対する主要な理論を紹介して終わりにしたい。

 

一緒に帰宅することで心が通じ合い、人々の輪が広がる
(帰宅コミュニケーション学派)

 

帰宅は人間を自由にする
(帰宅リベラリズム)

 

家に帰るのは寂しいなぁ
(帰宅感傷主義)

 

帰宅は神によって与えられた当然の権利
(帰宅神授説)

 

帰宅させない奴はあの世に帰宅させる
(帰宅原理主義過激派)

 

帰る家がない
(帰宅虚無主義)

ソフトクリームと私

子どもの頃、私はソフトクリームをよく食べた。

ソフトクリームは私の大好物で、中でもチョコソフトは大のお気に入りだった。

ところで皆さんはおいしいものを食べる時、どのような戦略で臨むだろうか?

おいしいものを後に残して、ゆっくり食べる人が多いのではないか。

私もそういうタイプの人間だ。

しかし、ゆっくり食べていると、だんだん溶けてコーンの下からこぼれはじめていく。

私はその事実にショックを受けた。

そして、この世界には何か重大な間違いがあると悟ったものだ。

他にも様々な問題を目撃した。

魚を与えるより、魚の釣り方を教えろとよく言われる。

そういう観点からいけば、我々はソフトクリームよりソフトクリーム製造機を押さえなければいけないはずだ。

だが、決して手の届かないソフトクリーム製造機。

ソフトクリームより冷たい社会の現実。

そういったものに私は打ちのめされたものだ。

だが、そんなこの世界の矛盾も、チョコソフトの甘さは優しく癒してくれるのだった。

こうして子供時代の私はソフトクリームに導かれて育った。

だが、こうした関係が崩れるのが中学時代だ。

このぐらいの年齢になると、人々はブラックコーヒーに手を染め始め、

甘いものに対して軽蔑の視線を向けるようになるものだ。

私もそのようなお年頃になった。

そしてチョコソフトに対して、何となくよそよそしい態度を取るようになった。

そしてそのまま大人になり、今ではすっかり甘さ控えめなタフガイになってしまった。

チョコソフトを食べている子どもを見ると、少し懐かしく感じると同時に、思うこともある。

「なぁ坊主、今はチョコソフトを楽しむのも良いだろう。

だが、私のような硬派な大人になるためには、いつかはチョコソフトを卒業しなければならないんだ」

そんなことを思いながら、私はビターで大人なモカソフト、ダブルラージサイズをむしゃむしゃと食べるのだった。

アマーイ。

六本木レポート

今日は所用で六本木に立ち寄る機会があった。

そこで見聞きしたこと、思ったことをありのままに描写していこうと思う。

 

さて、まず六本木について驚いたのは、景観の美しさと治安の良さだ。

これは私が住んでいる場所とは大違いだ。

私が住んでいるスラムでは、道ばたには死体が転がり、銃声は鳴り止むことがない。

突然後ろからクロスボウとかで撃たれたりする心配をしなくてもいいというのは、こんなにも楽なことなのか。

私は生まれて初めて味わう感覚にどぎまぎしながら先へ進んだ。

 

次に私は喫茶店へと入り、紅茶を注文した。

そして出されたものを一口飲んだ瞬間、電撃が走った。

これは・・・オーガニックティーだ。

体を駆け巡る有機栽培感は間違いなくオーガニックのそれである。

だが、そればかりではない。

周りを見渡すと、様々なものがオーガニックであることに気づいた。

今座っている椅子はオーガニックチェアーだし、もちろん地面はオーガニックアスファルトだ。

そして店員は全てオーガニックヒューマンだ。

私は六本木の健康志向に唸った。

さすが六本木だ。



六本木は美術館がたくさんあることでも有名だ。

そして町には芸術があふれていた。

周りを見れば、現代アートのように凡人の理解を超越した格好をした人がたくさんいる。

私は六本木の芸術志向に唸った。

さすが六本木だ。

 

その後しばらくあたりを歩いたが、六本木ヒルズにだけは立ち寄らないようにした。

ヒルズ近辺は危険だ。

あそこはセキュリティーが厳重で、敷地内は殺人ドローンが徘徊している。

不審者は無警告で射殺されることだろう。

今日も血祭りに上げられた浮浪者の遺体が、清掃ドローンに回収されていくのを目にした。

私は六本木の安全志向に唸った。

さすが六本木だ。

 

というわけで、六本木はとてもすごかった。

六本木でこれだけすごいのだから、七本木や八本木はもっとすごいのだろう。

いつかはそちらにも行ってみたいものだ。

そんなことを思いながら私は、地図にすら記されないスラム地区、零本木へとトボトボ帰っていくのであった。

スワンボートに見る社会発展の歴史

大きな池のある公園に行くと、たいていボート乗り場があるものだ。

そしてボートには3つの種類がある。

手こぎボート、サイクルボート、そしてスワンボートだ。

この3者と社会の発展には密接なつながりがある。

今日はそれを見ていきたい。

 

さて、まず最初にあったのが、手こぎボートだ。

何人かが乗り込み、その内の1人がボートをこぐ。

そして船は先に進むわけだ。

しかし、ここには大きな問題がある。

ボートをこいでいる人間が、他の乗客に搾取されているという現実だ。

搾取されている側は重税にあえぎ、特権階級はその犠牲の上で安穏と暮らす。

こうした社会の矛盾、アンシャン・レジームを打破したのがフランス革命だ。

革命は一部の特権階級の権利を奪い取り、税の負担は社会の構成員全員に平等に分担されることになった。

そしてこの革命の精神はサイクルボートへと受け継がれた。

 

サイクルボートは素晴らしい。

乗客は全員がペダルを回さなければならない。

それは、人々が平等であるということの証だ。

重税に苦しめられていた手こぎボート暗黒時代とは違い、啓蒙と平和の時代がやってきたのだ。

人々は苦労を分かちあい、そして勤勉に働いた。

彼らは懸命にペダルを回し、ボートを進めた。

それに呼応して社会も進歩していった。

そして人々は豊かになっていった。

さて、こうして社会に富が蓄積され、日々の暮らしに余裕が出てくると、

人々は次第に文化・芸術へと目を向けるようになるものだ。

社会は技術と資本を惜しみなく注ぎ、美を追求した。

そしてついにそれは完成した。

スワンボート・・・これこそ人類の栄光と苦労の全てが最後に到達した究極の存在だ。

さぁ、スワンボートでこぎ出そう。

そしてスワンボートに乗る時は是非、1人で乗ろう。

そうすればこの世界の王になったような気分になれるはずだ。

だが、無知な大衆はきっとあなたに白い目を向けるだろう。

それも仕方のないことだ。

だが、臆することはない。

きっとスワンボートは、醜いあひるの子のような我々の心を、美しい白鳥へと解き放ってくれるはずだ・・・多分。

豆乳と私

豆乳と私の出会いは最悪だった。

あれは数年前の出来事だ。

友人が豆乳を飲んでいるのを見て、何だかとてもおいしそうだなと私は思った。

そこで早速コンビニで豆乳を買ってきて、一気に飲み干した。

だが、あふれ出るリアル豆腐感にショックを受け、私の心は三十年戦争で荒廃したドイツのようになったものだ。

その後、長らく私と豆乳との間には国交がなかった。

 

しかし、しばらく後に2人は再会を果たすことになる。

あれは寒い冬の日のことだ。

私は外で揚げ物を食べ過ぎて、気持ち悪くなりながら帰宅した。

そして一刻も早く何か飲み物を飲もうと、冷蔵庫を開けた。

しかし、そこには友人が置いていった豆乳しかなかった。

私はやむにやまれず豆乳を飲んだ。

すると驚いたことに、胃の気持ち悪さが中和されていくのを感じた。

以前とは逆に、内乱で傷ついた国土に調和の光がもたらされたようだった。

こうして豆乳との和解が成立した。

その後の関係は蜜月であった。

天ぷらや焼肉などで胃が破壊された時は、豆乳が優しく慰めてくれたものだ。

次第に私も豆乳も互いに心を許し、進路に迷った時や悩み事がある時は必ず豆乳に相談した。

すると、たちまちひらめきが生まれ、問題はたちどころに解決するのであった。

今では豆乳は私の緊急連絡先であり、魂の非常階段だ。

 

さて、豆乳には2つの種類がある。

調整豆乳と無調整豆乳だ。

私は調整豆乳をおすすめする。

無調整豆乳の方は、いわば調教されていない猛獣のようなものだ。

うかつに近づけば、我々の方が大豆食品に変えられてしまうことだろう。

だが、ワイルドライフを送りたい方にはこちらがおすすめだ。

 

そんな豆乳だが、健康にもとても良いらしい。

美容効果やコレステロールを下げる効能があるそうだ。

心の健康にも、体の健康にも良いと言うのだから、文句のつけどころがない。

皆さんも是非、豆乳に親しんでほしい。

そして豆乳を好きになって欲しい。

私はドクターペッパーの方が好きですが。

twitter

突然だが、ツイッターを始めた。

聞くところによればこのツイッターなる魔物は、これまで多くの勇者達を炎上させ、地獄の業火で葬ってきたそうだ。

このいたいけな青い小鳥は、ひとたび牙をむくや否やドラゴンへと姿を変え、多くの町を焼き払うのだという。

恐ろしいことだ。

私はこの危険な鳥を刺激することなく、ゆるふわにいきたい。

強いモンスターと戦うのはゲームの中だけで十分だ。

私はいつだって、魔物も魔王もいない世界でピクニック気分でクリアできるようなゲームバランスを、人生に求めている。

そのはずなのだが、おかしいな・・・人生ってやつは・・・

いや、なんでもない。

というわけで、戦いを好まない心の優しい人は、このアカウントをフォローしてみるのもいいかもしれない。

フォローしてくれれば、私もまたフォローし返すだろう。

あなたが深淵を覗く時、深淵もまたあなたを覗いているのだ。

ドネルケバブハッピープロジェクト

なんだかとても頭の悪いタイトルをつけてしまったが、私はいたって真剣だ。

私はいつだって真剣に生きている。

真剣に生きているはずだ。

真剣に生きているだろう。

真剣に生きているかもしれない。

・・・よくわからない。

ともあれ、私の調査によれば、ドネルケバブと人間の幸福との間には強い相関関係があることが確認されている。

ケバブはきっと我々をトルコ人のように陽気に、そしてハッピーにしてくれるに違いない。

 

ところでトルコと言うと、私はある友人のことを思い出す。

彼は以前トルコへ旅行に行った時に、あるトルコ人に話しかけられたそうだ。

「オマエ、トモダチ!」などとフレンドリーに日本語で話しかけられ、彼はついて行ったそうだ。

すると「ソノTシャツ、イイ!トモダチ!トモダチ!」

などと言われ、文字通り身ぐるみ剥がされて帰ってきた。

彼は元気だろうか?

いや、その話はいい。

問題は我々が幸福になるには一体どうすればいいかだ。

その方法は簡単だ。

近くのケバブ屋を地図で確認すればいい。

幸せの青い鳥は意外と近くにいるものだ。

だが、問題は近くにケバブ屋がなかった場合だ。

その時はあなたが幸せの青い鳥にならなければならない。

皆の幸せと笑顔を守るために立ち上がらなければならない。

あなたがケバブ屋になるのだ。

 

さて、ケバブ屋を開くには、まず肉の調達から始める必要があるだろう。

これは簡単だ。

通学途中や通勤途中によく見かける牛や羊を狩ればいい。

あとは例のケバブを焼く機械に肉をセットし、ぐるぐる回しながらこんがり焼くだけだ。

肉を削り取る時は、近所に住んでいるグルカ兵のおじさんからククリナイフを借りるといい。

きっと喜んで貸してくれるはずだ。

経営については、こう・・・うまくやれば、うまい感じに金が増え、うまい具合にいくだろう・・・

私に商才はないので、そこらへんのことはわからない。

スタバでMacを開いているデキる人に、キャラメルフラペチーノなんかをあげれば、

きっとコンサルしてもらえるだろう。

 

しかし、ただケバブを食べるだけで本当に人は幸せになれるのだろうか?

最初にドネルケバブと幸福には関係があると書いたが、問題はどのように関係しているかだ。

ここで幸福について掘り下げてみよう。

古代ギリシャの賢人ソロンは、人が幸福かどうかはその人が死んだ時にはじめてわかると言っている。

それはつまり、死ぬ時に口の中にケバブサンドが入っているかどうかが、その人の幸福を決定するということだ。

というわけで、いずれきたるその時に備え、ケバブのありかを確認しておこう。

我々が幸福になる道は、ケバブ屋を見つけるか、ケバブ屋になるか、二つに一つだ。

侍ジャパンへの提言

侍という言葉を聞くと、何だかとても懐かしい気分になる。

私も昔はよく攘夷運動に加わったものだ・・・

というわけで今日は侍について話そう。

さて、私はこう見えて由緒正しき武士の末裔だ。

そのルーツはあの源氏に遡り、平氏との戦いでは多くの功績を上げたという。

そしてその後の世代も活躍を続け、天皇から宝剣を賜るほどだった。

・・・などということを妄想する農民の末裔だ。

紛れもなく私は農民である。

侍と共通するところなど、せいぜい不平士族のメンタリタティーぐらいだろう。

そんな農民的観点から思うことがある。

それは侍ジャパンについてだ。

あの呼び名には疑問を感じることもある。

当時は侍というのは特権階級であり、全人口のごく一部だったと思う。

侍ジャパンという言葉を聞く度に、私の中の農民は

「あっしら百姓はじゃぱんじゃないんだぎゃあ?」などとうそぶく。

もっとこう、多くの人々を包含するような、そんな呼び方があればいいかもしれない。

というわけで、これからは土一揆ジャパン、打ちこわしジャパンなどと呼称していきたい。

ええじゃないかジャパンでも可。

哀しみのお花見

3月も半ばを過ぎました。

段々春という感じがしてきましたね。

皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

もう少しするといよいよ桜の季節です。

桜は情緒がありますよね。

桜、咲く。桜、散る。人間は死ぬ。

死の恐怖に震える。

というわけで今日はお花見の話だ。

以前、友人達と花見をしたことがある。

かなり前々から花見をしようということになっており、あれこれ準備をすることになった。

だが、あろうことか私が幹事に任命されたのだ。

私は大変な任務を引き受けてしまったなと思った。

だが、頑張って仕事をこなした。

そして、みんなの予定の会う日を見つけ、私が日時を決定した。

しかし、そこに罠があった。

当てにならない私の予測能力が遺憾なく発揮され、我々一同は枯れ木の下に集まることになったのだ。

当然のことながらあたりは閑散としており、上を向いても桜の影など微塵もない。

周囲にあるのは、まったくもってただの枯れ木である。

友人は濁った目で私に声をかけた。

友人 「なぁ、ぶっだ。俺は思うのだが・・・」

私 「よせ・・・わかっている・・・」

そうして我々は暗い顔で花無き花見を始めた。

道行く人々は訝しげに視線を向ける。

そこには、枯れ木の下で無言で酒を飲む亡霊達の姿があった。

その後、花見の話題が上がることは一度もなかった。